地図・地理・地形 › 京都府、胡麻の分水嶺
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- 2024年10月17日 9:57 PM #2281
ずっと前に「たくさんのふしぎ」(2016年8月号)で読んだ京都府胡麻の分水嶺に行ってみました。京都から山陰本線の普通電車で1時間少々(ただし直通列車はほぼ0)の胡麻駅から徒歩20分程度のところです。山々に囲まれた場所とは言え、意外と開けた平地が広がっていて民家も多く、どこにでもある農村地帯と言う感じ。言われなければ、そんな特別な場所には思えない雰囲気でした。
確かに「水分の路」の掲示板はありましたが“ナイフリッジ”のような場所とはほど遠く、どっちがどっちなのかもよくわからない感じ。同じような掲示板が坂道を上がった1キロほど先にもありましたが、標高の表記は同じ210メートルでした。要するに地元でもあまり案内に力を入れていないように見え、地理に関心のない人にとってはどうでもいい話なんでしょうか。
「たくさんのふしぎ」にもあった、ふたつの河川(胡麻川と畑川)を運河でつなぐ江戸時代の案がどんな場所で計画されていたのか、知りたかったのですが全然わかりませんでした。単純に溝を掘っただけでは分水嶺の位置が変わるだけで運河にならず、パナマ運河のような水門を設けるつもりだったのでしょうか?「水分の路」の案内板
案内板を裏側から見たところ。奥へ伸びている道が分水嶺?
もう一か所の案内板。内容は同じ。
先ほどの道を横から見るとわずかに膨らんでいるのがわかる。これが分水嶺らしい。(手前が太平洋側、奥が日本海側)
- 2024年10月17日 11:10 PM #2286
- 2024年10月20日 9:58 PM #2289
品川地蔵さんこんばんは。
水流の特性を、江戸時代の人がどこまで考えていたか不明ですが、玉川上水の工事などを考えると、単なる思いつきとは思えないですね。やはりダムのような仕切りを作って水をためる事を考えていたのではないかと思います。実現していたらどんな形になっていたのか、興味あるところです。
- 2024年10月20日 10:35 PM #2290
さいたま市にある「見沼通船堀」というのをご存知でしょうか。見沼田んぼの西側の用水路と、中央にある中悪水(芝川)とを結ぶ水路で水位差が4mくらいだったかあります。パナマ運河より早く堰による水位調整で船を通していました。規模は圧倒的に小さいですが。
同様のことを考えていたことは十分に考えられますが、差が大きいのでだいぶ遠回りする必要があったでしょうね。
- 2024年12月18日 9:52 PM #3591
品川地蔵さんこんばんは。
今頃で申し訳ありませんが「見沼通船堀」に行ってきました。都内からすぐ近くにありながら、ここは全然知らない場所で、驚きました。他に見学風の人も見あたらず、静かそのもの。一部工事中の箇所もありましたが、当時の水門を再現した施設が完成していて、かつての雰囲気がよくわかりました。欲を言えば、造った時の経緯はあちこちに書かれているのに、閘門の仕組みの解説が見あたらなかった事。工事の方法(ただ溝を掘るだけなら工事中に水が流れ込んで、その先の作業が困難?)についても知りたかったですねぇ。近くには八丁堤と呼ばれている場所もあり、いずれにしても正確な地図もない時代に、ほぼまっ平らな関東平野で、利根川の流路の変更など、これだけ大小の土木工事が行われていたとは驚きです。
- 2024年12月19日 8:47 AM #3592
現地に行かれましたか。小生が行ったのは確か中学生の時で、家から自転車で6kmくらいですね。片田舎という感じでした。もう60年以上前です。当然遠くから観にくる人なんてほとんどいなかったと思います。もちろん武蔵野線ができる前ですが、今は東浦和駅からすぐそこという感じですね。
看板を見ると当時の浦和市のままで文章を維持しているのですね。地図の上が南になっているのに違和感がありますが(^_^;
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