地図・地理・地形 京都府、胡麻の分水嶺

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    • #2281
      N-EXP
      参加者

        ずっと前に「たくさんのふしぎ」(2016年8月号)で読んだ京都府胡麻の分水嶺に行ってみました。京都から山陰本線の普通電車で1時間少々(ただし直通列車はほぼ0)の胡麻駅から徒歩20分程度のところです。山々に囲まれた場所とは言え、意外と開けた平地が広がっていて民家も多く、どこにでもある農村地帯と言う感じ。言われなければ、そんな特別な場所には思えない雰囲気でした。
        確かに「水分の路」の掲示板はありましたが“ナイフリッジ”のような場所とはほど遠く、どっちがどっちなのかもよくわからない感じ。同じような掲示板が坂道を上がった1キロほど先にもありましたが、標高の表記は同じ210メートルでした。要するに地元でもあまり案内に力を入れていないように見え、地理に関心のない人にとってはどうでもいい話なんでしょうか。
        「たくさんのふしぎ」にもあった、ふたつの河川(胡麻川と畑川)を運河でつなぐ江戸時代の案がどんな場所で計画されていたのか、知りたかったのですが全然わかりませんでした。単純に溝を掘っただけでは分水嶺の位置が変わるだけで運河にならず、パナマ運河のような水門を設けるつもりだったのでしょうか?

        「水分の路」の案内板

        案内板を裏側から見たところ。奥へ伸びている道が分水嶺?

        もう一か所の案内板。内容は同じ。

        先ほどの道を横から見るとわずかに膨らんでいるのがわかる。これが分水嶺らしい。(手前が太平洋側、奥が日本海側)

        • このトピックは1ヶ月、 3週前にN-EXPが編集しました。理由: 追加
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      • #2286
        品川地蔵
        モデレーター

          日本海側は30mくらいの崖になっているそうですから、運河を作っても一方通行になってしまうのではないでしょうか。

          京都の地形: 由良川及び胡麻川の分水界

          消滅危惧地形だそうです。

        • #2289
          N-EXP
          参加者

            品川地蔵さんこんばんは。

            水流の特性を、江戸時代の人がどこまで考えていたか不明ですが、玉川上水の工事などを考えると、単なる思いつきとは思えないですね。やはりダムのような仕切りを作って水をためる事を考えていたのではないかと思います。実現していたらどんな形になっていたのか、興味あるところです。

            • #2290
              品川地蔵
              モデレーター

                さいたま市にある「見沼通船堀」というのをご存知でしょうか。見沼田んぼの西側の用水路と、中央にある中悪水(芝川)とを結ぶ水路で水位差が4mくらいだったかあります。パナマ運河より早く堰による水位調整で船を通していました。規模は圧倒的に小さいですが。

                同様のことを考えていたことは十分に考えられますが、差が大きいのでだいぶ遠回りする必要があったでしょうね。

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