富士山 › 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場する富士山の煙について
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- 2022年6月14日 9:56 AM #731
現在放映中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、伊豆が舞台になるケースが多く、画面に何度か富士山が登場しています。6月12日の放送にも登場しましたが、過去に映った分も含め必ず山頂から煙が出ているように見えます。時代考証には気を配っているらしく、宝永噴火口を消すなどの配慮しているようですが、私が知る限り当時本当に富士山が煙を上げていたのかどうかがハッキリしません。「噴火」の記録はインターネット上にもあちこちに記載があるようですが、煙が出ていたかどうかの記録はどこかにあるのでしょうか? そもそも「噴火」と「煙が出ている」の境目はどのあたりにあるのでしょうか? どなたか詳しい方、教えて下さい。
- このトピックは2年、 3ヶ月前にSysopが編集しました。理由: タグを修正
- 2022年6月14日 10:49 AM #733
検索をしてみましたが、明確な記述のある資料はなさそうですね。
ここの記述を見ると、紀行文や和歌集などの中に、噴煙を記述したものがあるが、
本当に見たものか、以前の記録などを意識して雲を見誤ったものかわからない、
としていますね。 - 2022年6月14日 11:01 AM #735
N-EXPさん こんにちは
「鎌倉殿・・・」は観ていないのですが、ご発言に触発されて検索してみました。
詳しくもなく専門家でもありません、ただの検索結果です。まず、「噴火」
気象庁の文書に、「噴火の記録基準について – 気象庁」がありました。それによると、
-----ここから引用
「噴火」とは、「火山現象の一種で、地球内部から、(火山)物質が比較的急速に放出される現象」(荒牧、1975)であると言われており、気象庁では「火山現象として、火口外へ固形物(火山灰、岩
塊等)を放出または溶岩を流出する現象」を「噴火」としています。
中略(以下は気象庁の記録基準-泰山注)
噴火の規模については、大規模なものから小規模なものまで様々であるが、
固形物が噴出場所から水平若しくは垂直距離概ね 100~300m の範囲を超すも
のを噴火として記録する。
-----引用ここまで - 2022年6月14日 11:32 AM #736
続いて、噴煙の記録について
内閣府-防災情報のページに
「第一章 富士山の山としての特性」なる文書がヒットしました。
その中に、「コラム 更級日記の作者は富士山の噴火を見たか」があり、
それによると、作者である菅原孝標女が寛仁4(1020)年、東海道で京都へ向かう途中、「・・・山の頂のすこし平ぎたるより煙は立ちのぼる。夕暮れは日の燃え立つも見ゆ」と書いているそうです。
「鎌倉殿・・・」とは150年ほど違いますが。同時代の資料としては、新古今集に頼朝本人の歌として
「道すがら富士の煙もわかざりき 晴るる間もなき空のけしきに」が採られているようです。
こちらは、文学的な修辞の可能性もあるのでなんとも言えませんが。内閣府の防災情報ページ 「第一章 富士山の山としての特性」の場所
https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1707_houei_fujisan_funka/pdf/1707-houei-fujisanFUNKA_05_chap1.pdfSYSOP様
気象庁、内閣府のページは一般に向けて更改されている情報なので引用は問題無いと思いますが、適切でないと判断されたらお手数ですが削除願います。 - 2022年6月15日 9:50 PM #738
品川地蔵さん、泰山さん。いろいろ教えていただきありがとうございます。
気象庁など影も形もない時代、噴火か煙が出ていただけなのかの区分は、今以上にあいまいだったのでしょう。ただあの竹取物語(かぐや姫)をはじめ、多くの作品に富士山の煙の話が描かれている事を考えると、近代に比べるとはるかに富士山から噴煙が上がっていた可能性は高いと思います。泰山さんに教えていただいた「内閣府の防災情報ページ」の17ページにある年表を見ると、江戸時代末期から現代まで噴煙が認められない時代になっていますが、これは本当に特異な時代と言う事になりますね。次の大噴火がいつ頃かわかりませんが、どうか被害が出ませんように。
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